1.
 強い木枯らしが吹き、雅真理は首をすくめた。
 邂逅館から歩いて二十分程の所にある私立大学の構内は、昼休みもそろそろ終わろうとしている為か、皆が足早に歩いていた。
 雅は猫人属らしい三角の耳も頭に沿うように、ぺたん、と倒す。いくら青灰色の体毛に全身覆われてるとは言え、寒いものは寒い。雅は荷物の紙束を持ち替えると、着ているナイロンパーカのジッパを片手でいっぱいに引き上げる。と、その時。



「あのぉ...すみませーん」
 雅の後ろから声がかかった。振り向くと、そこには人間の女性二人が並んで立っていた。
どちらも、いかにも大学生です、という格好をしている。手には三枚程紙が握られていた。
「これ、落ちましたよ?」
 どうやら雅の抱えている紙束から、先ほどの風で落ちたものを拾ってくれたようだった。
「あ、ほんと?ごめんねー、わざわざ。」
 礼を言いながら、彼女達のそばに寄る。
 背の低い雅は見上げる形となった。ふっ、と顔をあげると、その二人は今にも笑い出しそうな表情をしてお互いの顔を見合わせている。
「...?なに?俺の顔になんかついてるの?」
「いえ...そうじゃなくてぇ...」
「...かわいいなぁ、って思っちゃって、つい...」
「ほんとに動いてる獣人をこんなそばで見たの、初めてなんですよぉ。あたし達。」
 そう言いつつも、彼女達の眼は雅の顔や手や尻尾などをしげしげと追っている。なんだかくすぐったい感じがして、雅はたじろいでしまった。そばを通る人たち(といっても全員人間である)が、彼女達と雅をちらちらと見ているのが分かる。
「そ、そうなんだ...君たちここの大学の一年生?」
 そうでーす、と彼女達は答える。
「ひょっとしてこのプリント、次の時間に使うやつですかぁ?『獣人基礎分類学』って後期からの集中講議ですよね?」
「うん、そーだよ。教えるのは俺じゃないけどね。」
「え?違うんですかぁ?本物の獣人さんが来て教えてくれるって言うから取ろうと思ってたのにぃ...」
「いや、ほんとに獣人だよ。俺はアシスタントで来てるの。教えるのはライオンさん。」
「ええぇーー!!うっそーー!!」
「きゃあぁ!!どうしよー!!ほんとに、マジでーー!!?」
「あっはははは!!そんなに嬉しいのー?大した事ないって。ちょっとカッコつけてはいるけど全っ然おっさんだよーー?」
「いやいや、でもぉぉ!!うわーん、ユウコー、ほんと早く行って席とっとこ−!!」
「そーだねー!!あ、じゃあこれ...」
「っはあっははは!!それ聞いたらあの人...克海さんって言うんだけどね、喜ぶよーきっと...え?あ、ごめん...よっと...そんなら教室まで一緒に行こうか?」
『はーーい!!』
 雅が先に立って歩き出すと、彼女達はまだくすくすと忍び笑いをしている。
 どうやら、雅の尻尾が歩く度に左右に揺れるのが面白いらしかった。


 2.
 
雅と彼女達が講義室に入ると、既に30人程の学生が席についていた。
 それほど広くはない中型の教室なので、残っているのは前の方の席だけであったが、彼女達は最前列に隣り合って空いているスペースを見つけて座った。
 このプリント回しといて、と彼女達に紙束を渡して頼むと、雅は顔を上げて人数を確認する。全員人間の学生であり、獣人属種は一人もいない。それぞれの眼がそれぞれの興味をたたえて、雅を注目していた。
 俺がここの学生だった頃も、確かに人間ばかりで、最初の一、二年は肩身の狭い思いをしたんだよなあ...と雅は一瞬の感慨にふけった。
 何をしても見られている感じ。一人で構内を歩いている時にはいつも遠くからひそひそと自分に向けられたものらしい声が聞こえたものだった。できるだけ大人数の授業を選び、離れた席に一人で座って興味本意で話し掛けられたりしないようにする。昼休みには混雑した学食に入るのが怖くて、いつも大学の近くのコンビニでこそこそと昼食を買って人目につかないような場所で食事を済ませていた事も思い出す。
 そうするべきだと自ら決めた。
 いつも独りだった。
 寂しさが羨ましさや恥ずかしさと背中合わせのものだと気付いたのも、ちょうどその頃。
 授業開始のチャイムが、そんな虫歯の先を舌で押すような過去の疼きを雅の頭から消し去ってくれた。
 30人以上の視線にも動じない誇り高き猫人属、雅真理がここにいる。うん。
 かかってきてみろ。
 過去よりも今、である。
「えーっと...ねえ!!先生まだ来てない?」
 学生の何人かが、曖昧な表情で首を振る。あんたじゃないの?といういぶかしげな感じの顔も見受けられた。
「っかしいな...」
 雅が首をひねったその時、教室の戸が開いて克海天渡志がのっそりと姿をあらわした。



 ほう、とも、おお、ともつかない声がさざ波のように沸き起こる。
 ま、無理もないやね、と雅は思った。
 2メートルを超す長身と厚みのある肉体、くすんだ麦わら色のたてがみ。 
 克海のその外見は確実に人目を引く。
 獅子人属である克海は、生徒達の視線を一身に集めている事に頓着していない様子で雅に近付く。常に無気力な(わざとそう装っている、と雅は考えているが)彼には珍しくスーツ姿なのだが、既に一番上のボタンが外されネクタイも緩められていた。
「...プリントは?」
「言われた通りコピーして配っといたよん。」
「...スライドは?」
「用意しといたよん。操作はお任せー。」
 分かった、とだけ言うと克海は教壇に登った。
 シンプルイズベストと言う言葉を、克海と話す時はいつも思い出させられる雅である。
 実際、克海は全くと言って良いほどテレビも見なければ新聞も読まないらしい。雑誌にいたっては言わずもがなだろう。浮き世離れしている、と雅は常々思っていた。
 何の為かははっきりとは分からないが、極力、自らの感覚器感以外からの情報をカットしているのだろう。
 教室の中程に設置したスライド投射機へと歩きながら、雅は先ほどの二人をちらと見た。どうやら目の前の獣の王者の風格に見とれているようである。隣同士顔を見合わせ、すごーい、と言う形に口が動く。
 俺の事じゃないけど、なんか嬉しいね、こういうのって...
 そう思いながら、雅は機械の後ろに陣取った。


 3.
 克海は顔をあげると、たてがみをかき上げ口を開いた。
「お初にお目にかかる。この講議を受け持つ克海天渡志。
 後ろにいる小さいのは(ここで学生達から失笑がもれた)雅。見ての通り獣人属。
 ......この中に獣人属を間近で見るのが今回が初、という人は?
 ...ああ、ほとんどか。近くに邂逅館と言う獣人による獣人研究施設があるのを御存じの方は?...けっこういるな。
 この授業では我々獣人属の進化の過程から基本的な種属およびその肉体的特徴。君たち人間との差異。属ごとの年齢換算法などの生物学的側面の初歩とでも言うべき部分を主に教えさせてもらう。未開圏における獣人属独特の文化や人間との相互差別問題、また獣人の基本的権利の成立等の文化獣人学的、含獣人社会学的な側面を学びたい方には退屈なものとなる事をあらかじめ断っておこう。5日間の短い期間ではあるが、一通り説明が出来る事を望んでいる。」

 しかし、と克海は相変わらずゆっくりとした口調で続けた。
「言ってしまえば、生態学的側面からの見地は確かに無視して考えるには訳にはいかないが現代においては、人間について考える時に与えられるカテゴリー論と大した差は無いと思われる。極論になるが『分類的に獣人属だからどうこう』、というレベルのポテンシャルはそれの実際的な善し悪しに関わらず沈静化している、というのが近代から現代における汎学的なとらえられ方ではないだろうか?」

 克海はそこで黙ると教室を見渡す。



 雅が克海に見せつけるように、左右を見回し両手を開いて顔の両横でひらひらさせる。舌を出すジェスチャもついていた。
(大体の学生さんは今の発言飲み込めてないよー)
と言う意味らしい。
 分かる者なら、雅の顔がずっと昔のお笑い番組のアイキャッチみたいだ、と思った事だろう。しかし、残念ながら克海はそう言う類いの娯楽性からは、最も遠い所にいる人物の一人だったので、その意味のみを把握したに留まった。

 余談ではあるが、と前置きして続ける。
「つまり、ある事象における理由や説明として生理的、肉体的なものと、社会的、制度的なものの両方が考えられる場合には社会的、制度的なそれの方が優先的に取り上げられるべきだ、という方法論上の原則の言い換えだ。
 ...最近の事例で例えるならオリンピックにおける水泳競技での人種隔差。
 不思議だと感じた事はないか?
 陸上や球技と違い、白人がメダリストのほとんどを占め黒人や獣人属の選手はその姿を見る事すら、まれだ。...一昔前までは友人のスポーツ生理学者すらも真面目な顔をして、『黒人や獣人属は筋肉量が多くて、相対的に比重が重いから水泳には向かない』と説明していたのだ。
 ところが実際は違う。かつてはスイミングクラブ等に白人以外の彼や彼女達が入れなく充分な教練が受けられなかったからに過ぎなかった。白人がそうした人種や人属と一緒に水に入るのを嫌がり、『公然と』ではないにしろクラブの側がなるべく入れないようにしていたという事実が存在していたのだそうだ。
 もちろん現在そのような差別は撤廃されているがな。
 そういった社会的な背景、すなわち社会的、制度的な理由が存在しているにもかかわらずそれが恒常化し暗黙化されていた為に、『筋肉の比重うんぬん』、といったおよそ現実味のない生物学的な理由が盲信されていただけなのだ。
 あと十年もすれば水泳でも、最近注目されているようなゴルフやテニスと同じく、黒人や獣人のメダリストやチャンピオンが増えるだろう。
 結局、身体的、自然的に見えるスポーツという分野でも、実は文化的、社会的な拘束をうけているということだ。もちろん、人種や人属だけでなく、トラックの土質や機器の材質、といった面でもこの社会的な理由の生物学的な理由へのすり替え、という取り違え現象は起こりうる。
 つまりは、獣人属であるという肉体的な特質などは、社会的、文化的な認知形式に附随するほどの従属的なものに過ぎない、という事を理解しておくべきだ、が結論だ。」

 学生達はあっけに取られたような顔で克海を見ている。
 雅は、既に克海のこうした身も蓋もない反語的な饒舌には慣れているので、面白そうに皆の反応を楽しんだ。
 
「さて、毎回大体の講議内容は配られた紙に書いてある通りだ。興味のない回には出席しなくてもよろしい。
 時間は君たちに平等に与えられた、命と等価の財だ。
 より自分にとって有効な使い道があるのならばそちらを選択するのは当然だからな。
 何か質問があれば、そのつど発言してくれて構わない。答えられる範囲でなら、解答させてもらう...なんだ、雅。」
 雅が手を挙げたのを見て、克海は話をとめた。
「克海せんせーは付き合ってる人いるんですかー?」
「今のような質問をしたものにはもれなく『不可』が贈呈される事を言い添えておこう。」
「え?はぐらかしたって事は...いる〜?」
 芝居がかった雅のつぶやきに、学生達の間からくすくすと忍び笑いが漏れた。
 克海は、表情を変えずに大きめの声で言った。
「では、授業を始めようか。」

 4.
 
授業が終わってからも、学生達の数人は克海と雅に学生食堂まで付いてきた。
 授業前にプリントを拾ってくれた二人組の女生徒と、その友人である。女性(見た目で判断して、であるが)ばかりであった。
 もっぱら、彼女達とは雅がしゃべり、克海は押し黙って食事をしていた。

「雅さん、顔とか触っていいですかぁー?」
「あ、あたしもさわりたーい。」
「うん、いいよ、触って触ってー。なんなら毛の生えてない所も触る?」
「やっだー!!え?ホントにぃ?毛の無いとこってどこですかぁー?」
「そりゃ決まってるじゃん!!あそことかあそことかあそことか...」
「きゃー!!」
「ちょっとぉーマサコ、あんた触る気なのぉー?」
「カレシには内緒ね!!」
「おい、君はマジでさわんのか!!」
 その度に、華やかなかん高い笑い声が響く。

 克海は食べ終わると、そのまま席を立ち、生徒達へ短く挨拶をしてトレィを下げると外へ出た。そのまま歩きながら二時間振りの煙草に火をつけると、大きく息を付く。
 開放感を感じた事で、自分は緊張していたのだろうか、と言う事に気付き、克海は少し眉をしかめた。この歳になって人見知りか?...と思ったが、「この歳」も「人見知り」も些細な事だ、と思い直し煙草の味に意識を引き戻す。
「克海さーん!!」
 後ろから雅の声がして、その後を追いかけるように雅が走ってくると克海の隣に並んだ。
 音速より雅は遅い、という証明がなされた。
「先行っちゃうんだもんなー、全くぅ...冷たいぜ!!」
「楽しい時間を邪魔する奴とどっちが冷たい?」
「なんかさ、あの子たち克海さんかっこいいー、って言ってたよ。もー、大人の男!!ダンディー&セックシー!!みたいなさー。あ、克海さんならライオンだから、ワイルド、バットフォーマル、かな。はっはー!!憎いねー!!」
「この国では20歳以上で戸籍が男性なら誰でも大人の男だ。」
「いや、そーじゃなくってさー。あ、そうそう、今度コンパしましょう、っていうのも言ってたよ。どーする?」
「どうもしない。」
「言うと思った!!もうちょっと外側に眼を向けないといかんよ?克海くーん。」
「眼は身体の外に向いている。」
「あははは!!確かに内側向いてたらそりゃ怖いわな〜。」
 克海はそれ以上何も言わずに邂逅館への道を歩いた。
 落ち葉がつもった道は、乾いた音をたてる。その耳に優しい心地よさをしばらく楽しんでいると、雅がぽつりと言った。

「でも意外だな〜、克海さんに恋人がいたなんて...」

 克海は何も言わない。しかし、若干歩く速度が落ちたのを雅は見のがさなかった。
 前を向いたまま雅は続ける。
「だってさ、克海さんオリンピックの例え話したでしょ?それだけじゃなくってゴルフとかテニスとかに最近白人さん以外の人たちが進出してる事もさ...テレビも見ない、新聞も読まない。車持ってるから電車の中釣り広告だってまともには見てないでしょ?じゃあ、なんでそんな俗っぽい事知ってんの?」
 落ち葉のたてる音だけが響く。
「仮に俺らが話したとしても関心ない事だからすぐ忘れるでしょ、きっと。」
「......」
「多分そう言う普通の事を何回も克海さんに聞かせるように話題にして、しかも克海さんが特別な感情を持っているから関心を持って忘れない、そんな人がいるんじゃないのかなーって思ったんだけど。そりゃコンパに興味湧かないよねー...あ、それはもとからだっけ。」
「......」
「それにさ、ノーコメントはイエスってのは常識じゃん?」
「...さあな。」
「どんな人?人間?獣人?別に隠すような事でもないと思うんだけど...いや、別に克海さんが話したくないんなら良いんだけどね。大体、これが当たってなくて実はいません、なーんて事ならそれでいいんだし。」
「......」
「そこで黙ると、いるって事を信じさせる効果になっちゃうけど...」
「...わい...」
「ん?なに?」
「...可愛いやつだ、そいつは。」
「...!!......ふ〜〜...ん...」
「お前と違ってな。」
「...そりゃどういう...!!」
 何か言おうと雅は首をひねってはるか上方にある克海の顔を見た。が、そこで止まる。




 照れているのか。
 それとも、その人物を思い描いてでもいるのだろうか。
 克海は、前を向いたまま、
 微笑んでいた。

 木枯らしの吹く、澄んだ冬空の下。集中講議一日目の出来事であった。

 -------- 了 --------
 

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