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 先生が好きだ。
 今日、その事に、気付かされた。
 いつもだらしない格好で、ネクタイなんかきちんと締まってた事なんて滅多になくて。
 汗臭くて、煙草臭くて、がさつで、声が大きくて。
 黒板に書く字も汚くて、時々寝癖がついたまんまで授業したりして。
 ギャグは寒いし、もうすぐ30になるのに彼女もいないらしいし。
 
 普通じゃない。男が男を好きになるなんて。
 獣人属には同性愛が多い、なんて通説だけど、やっぱり異常な事だと思う。
 だけど。
 だけどそれでも。
 僕は、先生が好きなんだ。




「・・・お前ってさ、つっくづく本能弱ぇーのな。」

 しんとした廊下に響くその声が、僕のへばった身体に追い討ちをかける。
 何か言い返そうとしたけど、おんぶされてる今の状況だと何を言っても負け惜しみになってしまうから黙ってるしかないのが悔しい。
 タオルでおさえた額の傷が痛む。
 五時間目の体育はバスケだった。
 僕は他のチームの試合を尻目に皆と同じようにダベっていた。
 そうしたらボールを追いかけてコート外まで飛び出してきたやつにタックルかまされて、壁に激突。
 ・・・試合中じゃないのに怪我なんて情けないのは分かってるけどさ。
 咄嗟の事だし。
 コートに背を向けていた僕はともかく、見えていた他のクラスメイト達も『危ない!』とか言ってくれた訳じゃないし。
 ・・・・・・・・・言えよ。
 それはさておき、鈍痛に耐えながら身を起こしたら、額に滴る生暖かい感触。
 自慢じゃないけど、僕は流血沙汰を見ると気持ち悪くなる。
 かくして、保健室搬送決定。

「自分の血ぃ見て倒れるって、女だったらどーすんだよ。モトミちゃん、毎月トイレで失神しちゃう〜ってか?」

 そもそも僕が女だったらこうやって体育の授業中に倒れてもお前から莫迦にされたりはしないと思うんだけど。
 僕を背負っているその当の本人、クラスメイトの吉野 進次郎(よしの しんじろう)は、自分の口にした状況を想像してげらげら笑っている。
 ・・・下品なやつ。
 昔っからそうなんだ。
 でも、それなりに友情に篤いし、根は優しい奴でもある。
 今日だって倒れた僕をわざわざ自分からおぶって運んでくれてるし。
 正直、その体育会系の熱血ぶりが時々は鬱陶しいんだけどね。
 吉野とは小学校の頃からの付き合いだけど、全く変わらない。
 僕と同じ猫人属───クラスの半分近くがそうだからそれは別に珍しくもないか───で、黒一色のかたい毛並み。
 中学から続けているバスケのおかげで、猫人属にしてはかなり高めの身長。
 今どき珍しい五人兄弟(お姉さん三人とお兄さん一人)の末っ子で、陽気で頭が悪くて単純で無神経でスケベな奴だ。
 ・・・いや、半分は冗談だから念のため。
 僕だって友達は大切だし。
 それも半分冗談だけど。
 ちなみに、僕の名前は弥琴 基深(ひさこと もとみ)。
 背も顔も体型も、まあ標準かそのやや下の域を出ない程度の平均的な猫人属だ。
 薄い灰黄色の毛並みは、自分ではそこそこ気に入っている。
 でも今は血に染まって所々がきっと赤いメッシュみたいに・・・
 ・・・うわあ・・・
 考えただけで胸から下顎にかけて生温い吐き気が沸き上がってくる。
 我ながら情けないけど、こればっかりはしょうがない。
 気弱そうな見た目通り繊細なのよ、いや本当に。
 そうこうしているうちに、保健室についた。
 がらんとしていて、人の気配は無い。

「あー・・・ホナっさん、まーた煙草吸いに行ってんな。保健医が保健室いないでどうすんだっつの。」
「・・・また職員室かな、呼んでこないと・・・」
「いや、いいよ面倒臭ぇ。どーせちょっと切れただけだろ?こんなの俺がやっちゃるよ。」

 吉野がぼやく。
 人の怪我を『こんなの』呼ばわりする事に引っ掛かったけど、まあスルーしておこう。
 ちなみに、ホナっさんこと穂波さんは一応この獣人学校、守角(すずみ)学園の保健医。
 世間のビジュアル的な期待を微塵も裏切らない、ぽっこりと腹の出た狸人属の親父だ。
 そのくせ、超がつくほどの煙草吸い。
 大抵は保健室でなく職員室内の喫煙所にいる事が多い。
 というか、僕の知っている限りではほとんどだ。
 生徒の健康を何だと思っているのか一度問い質したいもんである。
 吉野は僕を椅子に座らせて、棚からガーゼや消毒液を迷う事なく取り出してきた。
 慣れた手つきに、つい吉野にたずねてしまう。

「よく場所分かるね。」
「ん?・・・ああ、俺らも部活で流血やっちまった時なんかよく来てマネージャに手当てしてもらってっから。」

 ホナっさんはどこいってんだよ。
 医療機関、教育機関の不祥事が叫ばれる昨今、大した度胸だと思う。
 それはともかく。
 吉野は僕の前に屈むと、手当てを開始した。
 小さいハサミで僕の額の傷の周りの毛をそっと刈り、消毒液を吹き付ける。

「目ェつぶってろ、ちょっとしみるぞ。」
「・・・った、いって、ヨシノ・・・・・・あたたたた。」
「はっは!『・・・お前は既に死んでいる』ってか?」
「・・・死んでないよ。」

 むしろ治せ。
 結局、ものの十分程で治療は終わった。
 鏡を見ると、地肌むき出しで絆創膏の貼られた部分が我ながら痛々しい。
 使い終わったものを元の場所に放り込みながら吉野が僕に向かって言った。

「さってと、俺は戻るけど、お前まだ気分悪りぃだろ?今日はもうHR(ホームルーム)だけだし・・・ホナっさん達には俺から言っておくからもう少し休んでけよ。」
「あー・・・うん、そうする・・・」

 僕はちょっと迷ったけど、ここは素直に吉野の忠告に従う事にした。
 実際まだ目眩のような違和感と吐き気が少し残っていたせいもある。
 このまま体育館に戻っても、クラスメイト達の冷やかしに太刀打ちできるだけの気力は回復していないと判断し、僕はベッドに横になった。
 吉野が毛布を首までかけてくれる。

「無理すんなよ。」

 ぽん、と僕の頭を叩いて吉野が軽い口調で言う。
 でも、その目は真剣だ。
 本気で心配してくれている。
 吉野とは長い付き合いだから良く分かる。
 誠実で、いい奴。
 僕も本音で返せる。

「・・・ごめん、ヨシノ、ありがとね。」
「いーって事よ・・・んじゃな、よく寝て育てよ未発達少年。」
「一言多いんだよ!!」

 ・・・あー・・・
 大声を出したら目眩がぶり返してきた。
 天井が微妙に揺れて見える。
 気分───機嫌かも───も悪い。
 畜生、何がいい奴だ、見当違いもはなはだしい。
 吉野の野郎、帰り道でウンコ踏め。
 阿呆な事を考えながら、僕は毛布にくるまり直した。


 いつの間にかうとうとしていたらしい。
 響き渡るチャイムの音で、僕は目を覚ました。

「うーっす・・・おい、大丈夫か?」
「!!」


 急に保健室の扉が開き、見なれたいかつい顔が覗く。
 心臓が、一回確実に跳ねた。
 具合の悪さ───もう大分楽になってはいたけど───も忘れて、慌てて上体を起こす。

「ありゃ、悪い、起こしちまったか?・・・んだ、モトミだけかよ。」
「え、あ、はい、そうです。」
「しょーがねぇなぁ、保健医が保健室おらんでヤニ喰っててどうすんだっつの・・・」

 吉野と同じ事を言っている。
 まあ、正しい感想なのだから当たり前っちゃあ当たり前か。

「・・・三輪先生も煙草臭いですよ。」
「げ、マジか?」

 そう言うと、僕らの担任の獅子人属、三輪 美和(みわ よしかず)先生は、慌てたように腕や肩口に鼻をつけてくんくんと嗅ぎ出した。
 大柄で厚みのある体躯。
 後ろで一つにくくられた杏色のたてがみ。
 いつも目に着く盛大な無精ヒゲ。
 しわの寄ったYシャツはあまり清潔そうとは言いがたい。
 数学教師のくせに。
 それは偏見か。

「・・・ま、いいさ、どうせ穂波の分にまぎれて分かりゃしねえだろ。」

 三輪先生がひとりごちる。
 『ばれなきゃいい』と言う姿勢も教師としてはどうかと思うんですが。
 そんな取り留めのない事を考える僕の心を知ってか知らずか、三輪先生は二〜三回シャツをはたくと隣のベッドに腰掛けた。
 自分の鼓動が早くなっているのが分かる。
 ノリの効き過ぎた保健室のベッドの固さ。
 そんなものを、急に意識してしまう。
 
 正直、僕は三輪先生が苦手だ。
 苦手と言うのともちょっと違う気がするんだけど、なんか緊張する。
 見た目からして大きいからかな。
 もともと僕が小心者だと言うせいもあるかもしれないけど。
 いるだけで、関心が向かう。
 開けっ広げに接してこられると、どうにも意識してしまってしょうがない。
 率直で乱暴で、でも優しい態度。
 人なつっこい笑顔。
 近寄りたいけど怖くて離れてしまう。
 苦手なはずなのに、気になってしまう。
 そんな、おかしな気持ちが沸き立つ相手。
 その三輪先生が、今、僕の真横に座っている。
 どうしよう。
 いや、どうもしないって。
 何考えてるんだ、自分。

「っと、そうそう、んでな、これ。」
「は?あ、はい・・・」

 その声で、急に現実に引き戻された。
 三輪先生から渡されたのは、この間行なわれた小テストの答案だった。
 76点。
 ・・・微妙・・・
 うん、でも苦手な複素数平面が主体のテストでは、まあ上出来。
 大問一個を最初のつまづきで丸々全部間違えてるのがちょっと悔やまれる。

「モトミにしちゃあ不調だったな、どっか分からん所あるか?」
「えーと・・・ここの大問の解き方なんですけど・・・」
「どらどら、ああ、こりゃモトミがややこしく考え過ぎだ、変換しちまえば単純な事なんだよ・・・zを極形式に直してド・モアブルの定理を使ってみな。」
「え?あれ・・・んーと、cosとsinに分けて二乗が×2になって・・・」
「マ、後で落ち着いた時にでも復習してみて、それでも分からんかったらいつでも質問に来てくれや。な、とりあえず今は具合戻す事に専念しろ。」
「はい、すみません。」
「もう少しで期末テストだからな、頑張れよ。」

 そう言って、屈託のない笑顔を見せる三輪先生。
 さっきよりも距離が近い。
 ワイシャツの第一ボタンが外されて、先生の逞しい胸元がかすかに見える。
 ・・・・・・。
 まただ。
 胸の奥がきゅうと絞られるような感覚。
 考えてみれば、この保健室に今は二人きり。
 変だ、僕。
 当たり前の状況を急に意識する。
 自分が呼吸する事すら無意識には出来なくなっている。

「どうだ、学活には出られそうか?」
「・・・えっと・・・・・・!!」
「ん、傷の方は擦っただけみたいだけど痛そうだなー、おい。」

 答えに詰まったその一瞬。
 本当にさり気なく。
 三輪先生の指が、そっと僕の額に触れた。
 優しく毛並みをかき分ける感触。 
 地肌に触れる先生の指。
 こそばゆい。
 気持ち良い。
 暖かい。
 僕の心臓は動いている。
 そんな当然の事が本当に分かるくらい、どきどきしている。
 駄目だ。
 何が?
 気付いてしまう。
 何を?
 引き寄せられる。
 何に?

 数学でも古文でも英語でも、問題を解いている時、『道』の見える瞬間がある。
 確かな解答へと続く、これが正しいと信じられる一本の整然とした『道』。
 最初の一つが分かれば、そこから一気に開ける『道』。
 後は辿るだけ。
 そして確信に至る。
 これは。
 この感覚は。

「・・・・・・・・・・・・」
「貧血の方は・・・息苦しそうだな、ひょっとして熱出てるのか?大丈夫か?」
 
 ・・・あ・・・
 三輪先生の大きな手のひらが、僕の額に当てられる。
 目と目が合う。
 かすかにかかる吐息。
 いかつい顔。
 後ろで一つにくくられた杏色のたてがみ。
 いつも目に着く盛大な無精ヒゲ。
 逞しい腕。
 がさつで、声が大きくて、でも優しくて。
 そんな三輪先生。
 
 『道』が開けた。


 結局、僕は教室に戻らなかった。
 もうすぐホナッさんもここに帰って来るだろう。
 僕の鞄と制服は、HRの後で吉野が持ってきてくれるらしい。
 保健室の天井を見つめながら、僕はベッドに横になっている。
 心臓の鼓動はおさまらない。
 三輪先生。
 額に当てられた手のひらの感触を思い出す。
 胸の奥がじんわりと、疼くような暖かいような痛いような感覚にとらわれる。
 ・・・本なんかではよく読むけど、本当にこんな風になるんだ。
 ちょっと可笑しい。
 まさかこの僕が、こんなことになるなんて。
 今日、確信した。
 してしまった。
 僕は三輪先生が苦手なんじゃない。

 僕は、三輪先生に恋をしているんだ。


 ──────了──────
 
 
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